常陸国風土記を訪ねる

助川の駅家(すけがわのうまや)

久慈郡の条に、密筑里から北東へ三十里のところに助川の駅家があり、昔は遇鹿と言ったとある。古老の言うには、倭武天皇がきた時に皇后(弟橘姫)が来て会った。それで遇鹿と名付けたという。その後、国司の久米大夫の時になって、河で鮭をとろうとして、助川と名付けた。地元では鮭の親を「すけ」と呼ぶという。遇鹿は、現在の助川町と会瀬町、相賀町に及ぶ広い地域の名称である。助川の駅家は、確かな場所はわかっていないが、現在の日立市幸町にある日立製作所の日立工場(海岸工場)がその候補地である。

指定の種別 未指定
市町村名 日立市
所在地 日立市助川町と会瀬町、相賀町
担当課 日立市郷土博物館
電話番号 0294-23-3231
参考URL なし
常陸国風土記の記載内容
久慈郡

此より艮卅里に、助川駅家あり。昔は遇鹿と号く。古老曰いへらく、「倭武天皇、此に至りたまひし時に、皇后、参り遇ひたまひき。因りて名づく。宰久米大夫の時に至りて、河に鮭を取らむと為て、改めて助と名づく」といへり。俗の語に、鮭の祖を謂ひて「すけ」とす。