茨城の民話Webアーカイブ

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湖を渡った牛

ミズウミ オ ワタッタ ウシ

原文

今から千年以上も前のお話です。
ある時、はるか西の都から身分の高い役人が、常陸国の国府(現在の石岡市)を目指して馬掛(美浦村)までやって来ました。
ここから先、国府までは陸路を行くより目の前に広がる霞ヶ浦を舟で渡る方が近道になります。役人は、波穏やかな霞ヶ浦の湖畔に立つと、長い旅もやっと目的地に近づき、ほっと一息つくのでした。
そして、都からずっと役人を背に乗せ、長旅を共にしてきた牛にねぎらいの言葉をかけました。
「おまえのおかげで無事ここまでやって来られた。本当によく頑張ってくれたのー。私はここから舟で行くから、お前はこの地でゆっくり休むがよいぞ。」
役人は、馬掛の村人に牛の世話を頼むと、舟で霞ヶ浦を渡って行きました。
ところが、後に残された牛は主人を慕い、毎日悲しげな声で泣き続けるのです。村人たちの優しい心配りも牛には何の慰めにもならないかのようでした。
そして、ある晩のこと、牛は小屋を抜け出し、どこかへと姿を消してしまったのです。村人たちは、手分けをしてあちこち探しましたが、牛の姿はどこにも見当たりませんでした。
「もしかしたら、お役人の後を追って湖を渡って行ったんじゃないか。」
早速、村人たちは、対岸に向け舟を出しました。
やがて、対岸に近づくと、村人たちの目に、その岸辺に横たわって動かない牛の姿が飛び込んできました。やっとの思いで岸に辿り着いたのですが、そこで力尽き、死んでしまったのです。
話を聞いた対岸の村人たちも主人思いの牛を哀れに思い、塚を作ってねんごろに葬り、牛の霊を慰めたのでした。
それ以来、牛が飛び込んだ所を「牛込」(美浦村)、牛が辿り着いた所を「牛渡」(霞ヶ浦町)、そして築いた塚を「牛塚」と呼ぶようになったと言うことです。
霞ヶ浦町牛渡房中の西の外れには、牛司大権現と刻まれた石塔が建つ「牛塚古墳」があります。

 

市町村 かすみがうら市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P218 〜 P218
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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