茨城の民話Webアーカイブ

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義家奉納の白い馬

ヨシイエ ホウノウ ノ シロイ ウマ

原文

むかし源義家が奥州討伐の途中現在の日立市水木町あたりまで北時この地の吉田神社に白馬を一頭奉納して行きました。
その馬は、新雪のように真っ白な毛並で、まさに神馬にふさわしい姿形をしておりましたが、とんでもない暴れ馬だったのです。
頑丈な柵を壊しては逃げ出し、畑の作物をめちゃくちゃに荒らし、けが人まで出す始末。
(このまま放っておいては、何が起るかわからない。)
困り果てた村人たちは、とうとうこの白馬を殺してしまったのです。
これで一安心、と思ったのもつかの間、こんどは、白馬の悪霊が村人たちを同ませるようになりました。
そこで村人たちは、相談の末に、白馬の霊を鎮めるため、慰霊祭を行うことにしました。
村人たちの気持が通じたのか、その後、白馬の悪霊は治まり、村にやっと平穏な日々が戻ってきたのです。
やがて、馬を撃ち止めた場所を"駒打ち原"と呼ぶようになったと言うことです。
日立市には、この他にも源義家にまつわる話がいくつか残っています。
旭町と会瀬町には、飲み水に困った義家が、矢の先で地面を突いたところ、清水が湧き出したことからその名が付いたと言われる八幡清水伝説が、また、川尻町小貝浜には義家の馬の足跡に関する言い伝えも残っているそうです、

 

市町村 日立市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P200 〜 P200
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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