茨城の民話Webアーカイブ

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経誦池

キョウショクイケ

原文

むかし書写山(兵庫県)の修行僧の難蔵法師は不老不死の大願を抱き、その成就のために、熊野山(和歌山県)にこもり、修行に励みました。
三年たったある日のこと、法師の前に熊野権現が現れ、「難蔵法師よ。竜となって水に入らば、汝の望み通り年老いることがないであろう。それには常陸の国の言両の峰に住むがよい。」というのです。
早速、法師は、はるか言両山を目指して旅立ちました。
常陸の国へ入ると、里川に沿った道をさらに北へ北へと進み、やがて徳田の里(久慈郡里美村)につきました。
そして、法師はそこから言両山頂へと登っていったのです。
山頂に着くと、そこには松の緑を映した竜池という神秘的な池がありました。
(これぞ、はるばる求めてきた。"水"にちがいない。)
法師は、池のほとりの松の大木の根元にある岩穴を住まいとし、日夜、お経を唱えておりました。
やがて、いつのころからか、美しい女の人が法師のもとに現れ、いつも熱心に読経に聞き入っておりました。
ある夜のこと、女の人は法師に、「お坊さま、お願いがございます。どうか私の家に来て、お経をよんでください。」というのです。
法師は快く引き受け、その人の後についていきました。
すると、女の人は、あの竜池の中に入っていくではありませんか。
少しためらいながらも後に続いていくとついたところは竜宮だったのです。
実は、法師の所に通っていたのは、池にすむ雌竜でした。
法師は、熊野権現の力により、頭に経典を載せた八頭の竜へと変身し、そして、その雌竜と夫婦になったのです。
それからというもの、池の中から時おり読経の声が聞こえるというので。竜池は誰言うとなく経誦池といわれるようになった、ということです。

 

市町村 常陸太田市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P191 〜 P191
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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