茨城の民話Webアーカイブ

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宝が淵

タカラガフチ

原文

むかし、下館地方を水谷様というお殿様が治めていた頃のお話です。
ある年のこと、大雨が続き、領内が大洪水にみまわれました。水が引いた後の田畑は泥をかぶって荒れ果て、家が流されたり、壊されたりした様子が次々とお城に報告されました。
そこで、殿様は、領内の被害状況を確かめようと、馬に乗ってお城を出ました。
心優しい殿様は、村人達に声をかけたり、話を聞いたりしながら、下中山村と束榎生村の境を流れる五行川のそばまで馬を進めて行きました。
その時、突然、殿様の馬の前に河童が現われ、馬の鼻先をなでたのです。
馬は驚いて暴れだし、殿様を鞍ごと振り落としてしまいました。
殿様の黄金造りの鞍は、土手を転がり、五行川で一番深いといわれる河童の淵に沈んでしまったのです。武勇に優れた殿様なので、不覚にも落馬した上に、鞍まで無くしたとあっては、もう悔しくてたまりません。
何がなんでも鞍を見つけたせ、と命じられた家来たちは舟を出し、一晩中、長い竹ざおで川底を探ったのですが、鞍は見つかりません。
その後、何日も探し続けましたが、とうとう鞍を見つけだすことはできませんでした。
それからしばらくたったある日、下中山の村人が五行川の河童の淵のそばを通りかかると、川底になにかキラッと光るものが見えました。不思議に思って近ずいてみると黄金のようなのです。村人は、河童のすむ淵ということも忘れ、川に飛び込み、その光るものを引き上げてみると、それは見事な黄金の鞍だったのです。(こんな立派な鞍は見たことがない。きっと殿様のものに違いない。)早速、その鞍は村の名主を通してお城に届けられました。
殿様はたいそう喜んで、正直者の村人にお米を五十俵、村には年貢を納めなくてもよいという田んぼ三反歩(約三十アール)を下さいました。
この話は、村中に広まり、河童の淵はいつしか宝が淵と呼ばれるようになったということです。

 

市町村 筑西市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P190 〜 P190
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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