茨城の民話Webアーカイブ

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大黒様

ダイコクサマ

原文

むかし、ある村を通りかかった旅のお坊さんが集まってきた村人たちに、道ばたで説教をしておりました。
お話が終わると、お坊さんは、村人たちの顔を見回し、「まことに申し訳ないが、今晩一晩、私を泊めて下さる方はおりませんか。雨露さえしのげればよろしいのだが。」といいました。
ところが、みんな口々に都合をいっては去り、お坊さんを泊めようという人は一人もおりませんでした。お坊さんは、しかたなくとぼとぼと歩き出しました。
すると、「お坊さま、汚ないところでよろしければ、うちに泊まって下さい。」というお爺さんかおりました。
お坊さんは、喜んでそのお爺さんの後についていきました。
家は、見るからに貧しそうでしたが、お婆さんも快くお坊さんを招き入れました。
二人は、とても親切で、お坊さんは、温かい芋がゆをごちそうになり、わらぶとんで休ませてもらいました。
次の日の朝、お婆さんが、お坊さんの姿がないのに気付きました。
二人で探していると、お坊さんが重そうな風呂敷包みを持って入ってきたのです。
「昨晩は大変お世話になりました。これは泊めていただいたお礼じゃ。」ごといって大黒様を取り出しました。
「この大黒様は、毎晩口から家の人が食べるだけのお米を出してくれるから、口の下に桝を置いておきなさい。そして毎朝、水を供えるがよい。」というのです。
二人はびっくりして、そのようなものは頂けないというと「あなた方のように心がきれいな人には、このような良い巡り合わせがあるものです。よろしいかな。人の恩というものを忘れてはならん。」といってお坊さんは旅立っていきました。
その晩から、大黒様は桝の中に二人分のお米を出してくれるようになりました。
「ありがたいことじゃ。」と二人は大黒様に手を合わせて拝みました。
それから何年かして、お爺さんが亡くなりました。すると、お米は大黒様の口からお婆さんの分だけしか出なくなったのです。
お婆さんは、何とか今まで通り二人分のお米を出してもらおうと欲を出し、つい大黒様の口をけずってしまいました。
ところが、その晩からお米は一粒も出なくなってしまったということです。
この話は、水戸市島田町に言い伝えられているお話ですが、県南の方にも同じようなお話があるようです。

 

市町村 水戸市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P189 〜 P189
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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