茨城の民話Webアーカイブ

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「向こうの池」から「印旛沼」へ

ムコウ ノ イケ カラ インバヌマ エ

原文

むかし、下大野村(現在の猿島郡総和町下大野)の長命寺の本堂裏に、きれいな水をたたえた大きな池がありました。
村人たちは、この池を「向こうの池」と呼び、野菜を洗ったり、洗濯をするのに利用しておりました。
ところが、この池で、田畑にこやしをまいた後のおけやひしゃくまでも洗う者もいたので、だんだん汚れが目立つようになりました。
これに一番腹を立てていたのは、この池にむかしから住んでいる池の主の大蛇でした。
村人の無神経さで、日に日にひどくなる池の汚れに我慢できず、大蛇はとうとう、村人を見るとおそいかかるようになったのです。
村人たちは、それ以来、池に近づけず困っておりました。ちょうどその頃、豊岡(現在の水海道市)の報恩寺の性信というお坊さんが長命寺に立ち寄りました。
そして、その話を耳にし、「それなら、池の主をここよりもっと住みよい所に移してあげればよいのだ。」というと、お経を書いた小石を池に投げ入れ、一心にお経をとなえはじめました。
しばらくすると、大蛇は池から姿をあらわし、ゆっくりと利根川を下って印旛沼(千葉県)に移っていきました。印旛沼に住むようになってからも、大蛇は時々、旅人の舟に近づいて大波をおこし、旅人たちを怖がらせておりました。
でも、下大野村の人たちは、成田山まいりで印旛沼を渡る時に大蛇があばれ始めると、舟べりから「長命寺檀家、長命寺檀家。」と大声で叫ぶのです。
すると、大蛇もむかし住んでいた土地をなつかしく思うのか、すぐ静かになったということです。「向こうの池」は、その後、埋めたてられ、今は全くそのおもかげはありません。

 

市町村 古河市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P163 〜 P163
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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