茨城の民話Webアーカイブ

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爪書き阿弥陀

ツメカキ アミダ

原文

親鸞聖人は、稲田(笠間市)に草庵を結び、約二十年間、常陸国内の各地を歩いて、新仏教の布教につとめました。
ある時、聖人は、稲田から鹿島へ向かう途中、高浜(石岡市)で、はれものに苦しんでいる男を見かけました。
聖人は気の毒に思い、「その苦しみを取り除いてあげましょう。」と声をかけました。
ところが、男は、苦痛に顔をゆがめながら、「このはれものを治せるって。おまえのようなものにそんなことができるわけがない。放っておいてくれ。」と、全く聞き入れません。
それでも聖人は、静かに念仏を唱えながら、男の身体をなで始めたのです。
すると不思議なことに、痛みはうそのように消え、はれものはすっかり治ってしまったのです。
男は、驚いて、今までの無礼をわび、小麦の焼いたものを出して、聖人にすすめました。男は、西浦まで聖人を見送り、別れ際に、「おかげで、現在の苦しみからは解放されましたが、聖人のお力で、これから先の苦しみも取り除いて下さい。」とお願いしました。
聖人は「人の力に頼らず、念仏を唱えることだ。あなたの家の庭石に阿弥陀如来が宿っているから、それを信心しなさい。」と言い残すと、船で鹿島に向かいました。
男が家に帰ってみると、聖人の言う通り、庭石に阿弥陀如来像が浮き彫りのようになっていました。
男は、そこにお堂を建てて祭り、聖人に弟子入りしたということです。
この如来像は、聖人が爪で書いたものと言い伝えられ、「爪書き阿弥陀」とも「爪描き如来」とも言われ、はれものに苦しむ者が小麦の焼いたものを供えてお願いすると治ると言われておりました。
爪書き阿弥陀は、高浜駅から東へ数百メートルにある観音堂—通称「西の観音」に納められています。

 

市町村 石岡市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P144 〜 P144
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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