鶴提地蔵
ツルサゲ ジゾウ
原文
むかし、水戸藩の殿様だった徳川光圀が、西山荘に隠居していたころのお話です。光圀は、お供をつれ、よく近くの野山へ鷹狩りにでかけました。
ある日、光圀たちは、狩りの途中、磯部の地蔵堂の近くで、一休みすることにしました。
目の前には、広々とした水田がひろがり、目を遠くに移すと、数羽の鶴がのんびりと羽を休めているようすが見えました。
しばらくして、その中の一羽が、光圀の前に、さっと舞い降り、何かを訴えるかのように、しきりに首をふるのです。最初は、何事かと呆気にとられた光圀も、やっと鶴の気持がわかり、「そうか。お前は、仲間の命乞いにきたのか。わかった。これからは、このあたりでの狩りはやめることにしよう。安心してもどりなさい。」
と、やさしくいったのでした。
それ以来、この地蔵堂の石仏は、鶴提地蔵と呼ばれるようになったのだそうです。
また、延生(栃木県)の子安地蔵から掛け軸をゆずりうけてからは、安産祈願をする人もふえ、千個のだんごを供える「おせんだんご」の行事も行われるようになったということです。
市町村 | 常陸太田市 |
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原文著者 | 染谷 萬千子 |
原文著者(ヨミ) | ソメヤ マチコ |
生年 | 1947年 |
原文著者備考 | 1947年茨城県ひたちなか市生まれ 茨城大学教育学部美術科卒 1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。 1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展 1983年 水戸で第二回個展 1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展 |
原文著者 | 茨城いすゞ自動車 |
原文著者(ヨミ) | イバラキ イスズ ジドウシャ |
原文著者備考 | 発行 |
原文著者 | 朝日広告社茨城支局 |
原文著者(ヨミ) | アサヒコウコクシャ イバラキシキョク |
原文著者備考 | 企画 |
媒体 | 図書 |
収録資料名 | ふるさとの昔ばなし |
収録資料名(ヨミ) | フルサト ノ ムカシバナシ |
収録資料シリーズ名 | 茨城の自然探訪シリーズ |
民話ページ | P121 〜 P121 |
収録資料出版社 | 茨城いすゞ自動車 |
収録資料出版年月日 | 2000.10.31 |
言語 | 日本語 |
方言 | 標準語 |
備考 | 非売品 |