茨城の民話Webアーカイブ

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親神様と筑波の神

オヤガミサマ ト ツクバ ノ カミ

原文

むかし、親神様があちこちの神様を訪ね歩いておりました。福慈の岳(富士山)についた時、たまたま日が暮れてしまったので、親神様は、福慈の神に今夜一晩泊めてほしいとたのみました。
ところが、福慈の神は、「今夜は新穀の収穫感謝祭をしており、他の人を家の中に入れてはいけないことになっております。せっかくですが、お泊めすることはできません。」とつれなく断ってしまいました。親神様は、涙を流し、「お前は、親の私を泊めないというのか。それならもう頼まない。ただし、これからお前の山を、いつも雪や霜が降り、人が登らないような寒い山にしてやる。酒や食べ物を供える者も、もう決してないだろう。」とおおせになって帰られました。
その後、親神様は、筑波の岳(筑波山)にもお登りになり、同じように宿を乞われました。
筑波の神は、同じ収穫感謝祭だったのにもかかわらず、気持よく親神様をまねき入れ、ごちそうをつくり心からもてなしたのです。
すると親神様は、「かわいいわが子よ。お前のところはいつまでも、天地日月とともに変わらず、人々が集まり、酒や食べ物も絶えることなく、千年も万年も楽しみはつきることはないであろう。」と歌をよまれて喜んだのでした。
このお話は、常陸国風土記に、古老の話として残っています。

 

市町村 つくば市
原文著者 染谷 萬千子
原文著者(ヨミ) ソメヤ マチコ
生年 1947年
原文著者備考 1947年茨城県ひたちなか市生まれ
茨城大学教育学部美術科卒
1973年から1999年まで約26年間朝日広告社茨城支局に勤務し、新聞広告他制作を担当。1981年から茨城の自然探訪シリーズ「ふるさとの昔ばなし」を制作。現在も継続中。余暇には、旧姓岩谷萬千子で版画・アクリル画の政策に取り組む。
1977年 日本板画院展新人賞受賞 水戸で第一回個展
1983年 水戸で第二回個展
1990年 いすゞギャラリーで「ふるさとの昔ばなし」版画展
原文著者 茨城いすゞ自動車
原文著者(ヨミ) イバラキ イスズ ジドウシャ
原文著者備考 発行
原文著者 朝日広告社茨城支局
原文著者(ヨミ) アサヒコウコクシャ イバラキシキョク
原文著者備考 企画
媒体 図書
収録資料名 ふるさとの昔ばなし
収録資料名(ヨミ) フルサト ノ ムカシバナシ
収録資料シリーズ名 茨城の自然探訪シリーズ
民話ページ P119 〜 P119
収録資料出版社 茨城いすゞ自動車
収録資料出版年月日 2000.10.31
言語 日本語
方言 標準語
備考 非売品

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