いばらきの伝統文化

いばらきの伝統文化

特集

HOME > 特集 > №8 石岡市にて伝統の仕事歌「木遣り」を受け継ぐ「弘聲会」をご紹介!

№8 石岡市にて伝統の仕事歌「木遣り」を受け継ぐ「弘聲会」をご紹介!

皆さんの街に「木遣(きやり)」はありますか?
木遣はもともと鳶職の仕事歌です。昔は各地域にそれぞれの木遣があり、棟上げや祭りの山車を引くときなどに歌われていました。最近では法被を着た男たちが声を合わせて歌う姿をCMなどでご覧になった方もあるかと思います。
しかし時代とともに後継者が減り多くの街では木遣が消えてしまっています。
そんな中、茨城県石岡市では、「絶滅の危機に瀕する石岡の木遣を復活させたい」と熱い思いで集まった男たちがいます。
今回は、伝統ある石岡の木遣の復活の為に活動を行う「弘聲会」(こうせいかい)代表の水野さんとメンバーの渡辺さんにお話しを伺いました。

石岡木遣とは

木遣とはもともと地固めを行う際、調子を合わせ、力を出すために歌った仕事歌です。そのため大勢の男性が声を合わせ、比較的ゆったりとしたテンポで声を伸ばして歌うのが特徴です。楽器もなく、すべてアカペラでメンバーが抑揚を合わせて歌います。
今では仕事歌として歌うことはありませんが、お祭りや結婚式、祝賀会などの祝い事のオープニングで歌われています。
出だしと盛り上がる部分を担当するソロパートの“兄木遣り"と、それ以外のところを大勢で盛り上げる"弟木遣り"に分かれます。木遣の始まりの"真鶴(まなづる)"は、少し甲高い声で「木遣りを始めるぞ」と呼びかけるものです。"鶴の一声"という諺に因んで、真鶴と命名されたとも言われています。
歌詞の一つに「ご用はめでたの若松様よ、枝も栄えて葉も茂る」などがありますが、ゆったりと伸ばして歌うので、内容や意味を理解するというよりも、音の響きや節を楽しむことになります。
常陸國總社宮例大祭(石岡のおまつり)や、茅葺住宅、明治時代の西洋様式を取り入れたモダンな街並みで知られる石岡市。そこで受け継がれてきたのが「石岡木遣」でした。
石岡木遣の特徴は「小突き」と言って速いテンポで歌われることです。一般に知られる「大間」というゆったりした歌い方と少し早い「中間」に比べ、勢いがあるのが特徴です。しかし楽譜もメトロノームもない口承伝統。メンバーの息やその場のライブ感、時代の流れから,最近は「中間」くらいのテンポで歌われることが多いそうです。

石岡木遣「弘聲会」とは?

数年前に発足した弘聲会の会員は7人です。「9割がたは飲み会だよ」と笑う水野さんですが、興行の前は、毎週土曜日に水野さんの自宅に集まって練習をしています。
伴奏がなく大勢で声を合わせるので、練習するときは「木遣り棒」と言われる棒を振って調子を合わせます。くい打ちの時にも歌われた名残で、木遣棒はそれに見立てた棒です。本番は木遣り棒もないので、練習でいかに息を合わせるか、メンバーのチームワークが問われます。

石岡木遣の歴史

明治時代にはあったとされる石岡木遣ですが、現在の形になったのは昭和初期です。そのころ石岡の大火があり、千葉県成田市から多くの鳶が復興の手伝いに来ており、多くの歌が伝えられたといいます。そのため成田の木遣と似ているところがあり、水野さんが実際成田山新勝寺で奉納された「弘道会」の木遣を聞いたときは、そこにルーツがあることを実感されたそうです。

 

関東鳶 石岡支部の記念撮影(昭和38年)

 

代表の水野さんがこの木遣に出会ったとき、それを受け継ぐのは当時の頭であった鈴木弘さんのみでした。「鈴木さんは昭和一桁生まれのおじいちゃんだったので、なかなか教えてくれなかった。気に入られるまでは大変で、苦労しました。40歳以上離れていたので自分は孫くらいなもの。『俺は木遣を残さなくていいんだから』という鈴木さんに頭を下げ、何度も何度も足を運んだ。さらに『一人でやるものじゃないから人を集めろ』と言われ、5人集まってやっと始められた。
鈴木さんは2年前に亡くなったが、お葬式には木遣で送ることができた。頭のやってきたことを何とか残せたかな。ご親戚も喜んでいただけたと思います」と語ります。

 

鈴木さん(前列右手)と弘聲会のメンバー

 

石岡木遣の魅力

木遣の魅力は、地元の歴史に根付いているところであり、やっていて夢中になることだと言います。「どこ行っても木遣があるという訳ではなく、それなりに大きなお祭りがあるところに木遣がある。豪商がいたり旦那衆がいたり、蔵が立っている場所は必然的に作る人がいる。石岡には大きなお祭りがあるように、そもそも石岡がそういう開けた場所であったという歴史を伝える証拠。」
「自分が石岡木遣を知ったときには鈴木さん一人しかいなかったので、その人がいなくなったら歴史から消えてしまう、と思った。知ってしまった以上、なくなる前に教わりたい、どうしても残したいという思いでやってきた。一度途絶えてしまったら、よそから借 りてくるしかない。何とかギリギリのところで引き継げたかなと思っています。
見どころは、歳を重ねるにつれて深まる円熟の技。若い衆のうちから練習して、60くらいでようやく一人前。40代である自分はまだまだひよっこ。今からがスタート地点。」と言います。

「カッコいいところを目指したい」今後にかける思い

水野さん曰く「とにかく経験を積むことが大切、という木遣。江戸の消防記念会を目標に、渋いカッコいいおじいちゃんになりたい」と語ります。
「年輪が必要。経験、長いことやってからの積み重ね。自分はまだまだはなたれ。謡いこんでいけば節もよくなる。画像を見てもまだいまいちだな、と思う。でも10年20年続ければよくなっていくと思っています。鳶頭を見ていると、オーラが違う。若いうちからの積み重ね、同じ法被を着ていても、頭が剥げていても、内側から出てくるものが感じられる。それを目指したい」。
今後の弘聲会としては、どんどん経験を積んで木遣を広めたいという思いはあるが、会のメンバーを増やすのではなく、別の団体を育成したり、お祭りの同好会に木遣を教えたりしたい、とのこと。
「現在のメンバーは自分の思いに賛同してくれた仲間。つらいのかなと思うと、結構楽しくいい関係が作られている。人数が増えるとメンバーの意思疎通や会の管理が難しくなるので、それより技の向上に専念し、よいものを作っていきたい。自分はつらい思いをしたけれど、メンバーには楽しくやってほしい。そのためにも、見てカッコいいなと憧れられるものにしたい。今は珍しさで見てもらえるけれど、さらなる高みを目指していきたい」と言います。

メンバーの渡辺さんは「やればやるほど奥が深い。自分も神社に属しお祭りにかかわってきたので、昔のものを伝えることができるのが嬉しい。水野さんは『練習の9割は飲み会』なんて冗談を言うけれど、やるときはやる男です。やるからには練習だけではなく出演もする。常陸國總社宮奉祝祭で奉納したデビューの時は、石岡の大先輩や地主さんを前に、シーンとしたところで始まった。ピーンと張りつめた空気に緊張したのを覚えています」と語ります。
男たちの熱い思い、信頼、心意気が伝わる石岡木遣。ぜひその魅力に触れてみてください。

 

弘聲会のメンバー(右から2番目が水野さん)